堕落論と理想郷。
Plastic treeというアーティストが大好きです。
彼らの曲を聴くと
8回に1回くらい、元恋人のことを思い出す
プラが本命だと言っていた。
あたしがプラを聞くようになったのは、この子の影響だったなあ
ふとそう思い出す。
ただそれだけ、一瞬だけなのだけど。
はっきり言って、大恋愛ではなかった。交際期間も短かった。
もう6年ちかくも昔だ。
この世を去ったあとに何が残るか
関係性、と答えた生徒があった。
そのひとを通じて生じた出会いや縁とかの関係性、って。
あたしはこれから先も、プラを聞くとその元恋人を思い出すかもしれない。
その頻度は10回に1回、20回に1回、100回に1回と減っていくかもしれないが、ないとはいえない
前回の日記で、物質的なものしか残らないと言ったけれど
どんなに薄く淡く、かすかなものになったとしても
完全な消滅 をしない記憶や関係性も、あるかもしれないなあとか思ったり。
雨の日は、なぜかPlastic treeが聞きたくなるんです。
逆にcali≠gariは、晴れた暖かい昼さがり。
戯言書いたついでに、久しぶりに本関連のことでも
最近ね、今度はmixiあぷりにハマってましてね
そのせいでまた読書状況が芳しくないっていう。
あんな糞ゲに。ただのクリックゲーに。とてつもなく悔しいです。
ログイン回数急上昇でmixiの思惑どおり。
で、今は「堕落論 / 坂口安吾」読んでるんですけど
おもしろいねこのひと。
ものすごく世界を斜めから見てると思うけど、なかなかどうして、うーむ成る程と唸ってしまう。
まだ半分ほどしか読んでないから、感想はまた読了したらで。
とりあえず、気に入った箇所のメモ。
「寺があって坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。(中略)京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。」
(P.62 日本文化私観)
たしかに、物質的なものを失くしたぐらいで揺らぐような伝統は
伝統とはいえないのかもしれない
「"健全なる道義"から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。」
(P.96 続堕落論)
これ、今西洋哲学概論(大好きな権さんの授業)でやってることと似てると思った。
"The End of History and the Last Man" ('92 Francis Fukuyama 著)
…戦争が終わり歴史は終わった。人間は最早進化しない。
平和な世界の中で、これから先"何も"ないだろう。
さらに「人間」(鍵括弧つきのニンゲン)の話を最近はしていて
社会という監獄に入れられた「人間」はひたすら生産を繰り返す、ていうんだ
「子供」を生産 →
1)教育:立派な「大人」にするための規律訓練
2)労働:学校を出た「子供」は「人間」となり、モノを生産
3)家庭:また「大人」をつくるため「子供」を生産 → ループ
この生産システム=「人間」(「大人」)製作をただただ繰り返す、と。
ひたすらにre-produce。終わらない輪。
哲学ってほんとアレ、救いようのないこと言うよね
じゃあどうしろっていうの?って感じなんだけどw
考えるとゾっとする
同じ生産をぐるぐると繰り返す平和な世界。終わらない世界。終わった歴史。
これはユートピア?
ならば、「猿の惑星」のように滅んでしまうべきだろうか