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この世界が存在していることの恐怖。

2月ももうすぐ終わりですね。
インターンシップも残すところ実質2日。
そして金曜日に結果発表です。
ハートつぶれちゃーう。

昨夜は終業後に酒+ピザで懇親会がありましたヽ(・∀・ )ノ★
楽しかったー
インターン始まってから、確実に志望度上がってます。
順調に洗脳されています。
懇親会後に有志で二次会もあったしー
飲み会大好きですいませんほんと

今日明日ってバイト以外何もないので
月曜の最終レビューに向けて家で出来ることは全てやろうと思います。
そういえばさっき、久しぶりにES→Webテストってやったんだけど
非言語半分も出来なくてわらたww
記述式とかあたしには酷すぎるwww
ESがんばった意味\(^o^)/

続きは、木曜金曜って帰りの電車で読んで面白かった記事より

【この世界が存在していることに恐怖を感じないか?】

自己満な上に長文です

 

まああたしの嫌いな哲学の話なんだけどね。


こういう無意味なこと考えるなら、与えられている制限された一生の中で出来るだけ有意義なことをするべきだ、って思う。
思う反面
私はやはりこういう答えのないこと考えるのは好き。

>>1がこのスレで言ってる
「何の目的も持たずにこの世界が存在している(生成した)ことが恐ろしい」
「世界は本当にこれが全てなのか」
こういう類の不安はよくわかる。
けれど多分、私が強く抱いたことのある思いは、>>1の根本の主張とは少し違っていて
何故”自分”という存在が在るのだろう?
→”自分”がいるこの世界は何故在るのだろう?
なのね。
こういうことって、10代の情緒不安定なときに一番考えていたし
自分の存在意義、私=私ということの不確かさ、とか
全て”己の存在”に対する疑念が元だった。
自分のことでいっぱいいっぱいだったからねえ
世界の生成とか、私なしの世界の存在になんか興味なかったな、と思う。
今現在の自分の存在に自信がもてないから、地面もゆらいでいた、というか。

こういうことで苦しくなることは本当になくなった。
多分、大人になったから。
この限られた世界(私が認知し得る世界)の中で、私は私として生きていくしかないようだし
私の存在意義や意味なんて、些細なことなら何とかこじつけられるし
つまり、諦めた。

まあ今でもこういう記事を読んだり
哲学の講義受けたり本読んだりするとぼんやり考えることもあるけど
結局、私のこのリアルな(リアルだと認識している)感覚を信じるしか”私が存在する術はない”、わけで。

そんでもって私は、世界も私ありきだと思っている。
これは上述した話とは違って(世界自体に興味がない、ということではなく)
私が認識して初めて世界は存在するのだということ。
観念論ですかね。

こういうことを突き詰めて
認識しているのは私の脳みそで、じゃあ世界は私の脳内だけに広がっている仮想世界みたいなもの?って考えてみたりとか
世界への意識をOFFったらそこには無があるの?とか
(そしてスレにあったように、有がないのに無は成立するの?とか)
なんかね、考え続けたらキリないでしょう。
それをやるのは哲学者。
私は哲学者ではないので、与えられた「私」で、与えられた世界で生きるだけです。

つまり、諦めた。