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耐えられない存在の軽さ / ミラン・クンデラ

livedoorブログ、いっつも重くないです?
とても読み込みグルグルするんだけど、私だけです??

先週指輪を買って
来週引っ越しで
再来週は顔合わせで
とバタついてます。ばたばたばた(';')!

住民票だったり転出届だったり戸籍謄本だったり、役所と仲良し。
やっと千葉県民から都民になります、私。
もう4,5年とーきょー住んでるくせにね。ごめんなさい。

実際に婚姻届を出したら、またたくさん手続きしなくちゃいけないんだよなあ
名字が変わるほうは大変ですね。

なんだかとんとん拍子で、その後はイベント消化中
私が過剰なくらい下調べして行動してるせいですかね。

●結婚式までのスケジュール、予算等々をエクセルにまとめる
●顔合わせ候補のお店をエクセルで特色・メニューとともに一覧表にまとめて彼に提示
●指輪は目星をつけていたお店1軒だけ行って即決
●不動産屋さんに行った初日に気になっていた物件4件内覧して即決

ちょっとね、わたし効率的・計画的に物事進めようとしすぎるところあるので
可愛い要素が不足しすぎてやしないかといくぶん心配。

結婚に向けてのロマンチシズムが足りない。

 

まあ、金銭面での心配・ストレスが大きすぎて夢みてられないんだけどヽ(冫、)ノ


読書ブーム引き続いております。
ぷよクエと星ドラが熱くなるイベントやらなければ、最近は読み進められるんですよ。
スクフェスに力が入るのは、まきちゃんイベントのときくらいだし…

なんかもう、ずっと前から読みたいリストに入ってたミラン・クンデラ
ブクログ確認したら、「読みたい」に入れたの2009年だった。
6年て…小学校卒業してるじゃん…。

そんな長い付き合いの小説です。

読んでいちばん感じたのは、著者がこんなに語りかけてくる小説って珍しいなっていう。
登場人物とは別の第三者目線で、とかでもなく、クンデラ自身が「著者として」
自分の思想や、(小説内の)人や物事に対しての感想を綴っているのである。

小説は「地文」と「登場人物の台詞」「登場人物の内面(これは地文に含まれたりもする)」
で構成されるのが一般的だと思うが、この小説の場合は、「地文」「登場人物の台詞・内面」と
クンデラの言葉」に分かれているような印象をうけた。

最初は慣れなかった、というか、多少の違和感を感じたけど(「ではトマーシュの話に戻ろう」とか)
クンデラの言葉が小説の出来を邪魔している、ということはなかったかな。

この小説のテーマはまるまるクンデラの思想なんだと思う。

200人以上の女性と関係をもったというドン・ファン、トマーシュと田舎育ちで純朴なテレザ。
ドン・ファンって、今でいうヤリチンと同義って解釈でいいのよね?)

勘違いだろうとなんだろうと2人にとって運命的な出会いにより、テレザは田舎を出ておしかけ女房になる。
しかしトマーシュの女遊びはなおらない。
嫉妬に苦しむテレザと、テレザを愛しているのに女遊びで傷つけ続けてしまうことで苦しむトマーシュ。

いや、女遊びやめたらいいだけじゃね?お前病気だよそれ
って思いましたけどね。女目線で読むとね。

傷つけあって苦しみ続けて、それでも離れられず、最後は二人で田舎に住むことにする。
そこでもテレザは、彼の息子から送られてきた手紙を女のものと勘違いし嫉妬に苦しむわけだが…

ある日、隣村のダンスホールで「田舎にきて幸せだった」というトマーシュの言葉を聞いて、
自分ばかりがトマーシュに振り回され傷ついてきたと思っていたけど、医者を辞め、
占領下のプラハまで逃げた彼女に会い来て、田舎へも越してくれたトマーシュが
テレザのためにどんだけ自分を犠牲にしてきたのかと気づいてはっとする。
そのダンスホールからの帰りの車で、事故で2人は死んでしまう。

いやテレザ、はっとしてるけど、トマーシュの女遊びのせいであなた精神壊しかけて

で、もう辛くて彼から離れただけでしょ?

ほぼ非はトマーシュにしかなくない?
世が世なら、離婚裁判で慰謝料いくらとれると思ってるの、と。
思いましたけどね。女目線でいうとね。


ひとの一生はやり直しのきかない、とてもちっぽけで、軽いもの。
2人の存在は幾人かの記憶の中と、自分の言葉ではない墓の石碑と、そんなものにしか刻まれない。

けれどトマーシュとテレザは精一杯幸せになろうとドラマティックに生きていたし
彼や彼女にとっては、それは1度きりしかない自分だけの人生だ。

もちろん私の解釈でしかないけれど、「だからこそ素晴らしい」といいたいのだとしたら
私もそう思う。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)